(2024年11月8日配信のニュースレターをこちらにも掲載します)
こんばんは。エディターの田村です。
以前から、なんとなくそうなんじゃないかなぁとは思っていたけれど、最近改めて確信した人生の真実があります(ちょっと大げさですが)。
「願ったこと」が叶うんじゃなくて、「信じたこと」が叶うんだということ。この違い、わかっていただけるでしょうか?
「こうなったらいいな」ではなく、「こうなるな、きっと」に近いというか、「自分、これやっちゃうんじゃないかな」みたいな感じ。根拠とかはいらないんです。信じられるかどうかだけ。
少し前に、「願ったら叶うから毎月紙に書き出しておこう」みたいな話が流行ったことがありましたよね。数年後にそのノートを発見したりして、改めて願い事リストを見ると、ちゃんと叶っていることが多いということも含め、ご経験のある方も多いと思います。
そのリストをよーく見てみると、叶っていることって、その中でも「何の根拠もないけど、できるんじゃないかな」と思っていたことだったりしませんか?(そう、つまり、願ったことではなくて信じていたこと)
クリエイターのあなたが今のお仕事をされているのは、ご自身が「きっとなれる」と信じたからですよね。それと同じで、目の前にある現実は、全部ご自分が信じたことが叶った結果。
私の場合で言うと、このあたりはたぶん、信じていたから叶ったのかなぁと思っていることです。
編集者になる。一生犬と暮らす。一度はテリアを多頭飼いする。一度はイギリスに住む。外国語で日常会話ができるようになる。小さくても快適な自分の家を持つ。好きな仕事で独立して楽しく暮らせる程度になる。大好きな水谷豊さんと会って一言でいいから話す。エリック・クラプトンとも話す。(すごい、ミーハーがバレてます)
皆さんもきっとたくさんありますよね。ぜひ書き出してみてください。
そうだとしたら、ややネガティブな方向の「私ってこうだ」と信じていたことも叶っているのかもしれません。
私は長い間、自分は人見知りで話すのが苦手だと信じていました。長年そう信じ込んで、自分の行動に制限をかけてきた自覚もあります。でも本当にそうなら、人と話すことが大切な業務の一部である、今の仕事を楽しくやっていることはないはず。
だから最近は、話すのは超得意ではないけど、苦手でもない。どっちでもないよ〜と言っています。この方が自然で楽なのに、長い間、馬鹿なことを信じていたなぁと思います。
変な信じ込み、偏った思い込みが叶ってしまったら、自分の可能性を狭めてしまうことにもなって、本当にもったいないです。お客様と話していても、よくそう思うので、その時は全力でお伝えしますが。
もしかしたら、収入とかもそうかもしれません。「私ってこの程度だよな」と信じている金額が、ちゃんと叶っているとするなら、本当にそうかな? もっといけるんちゃうか?(なぜここだけ関西弁?)と自分を信じることで、何かが変わるんじゃないかなと思うのです。
人によっては「そんなの当たり前じゃん」と思うことかもしれませんが、ようやく腑に落ちた感じがあったので、今週はこんな話をさせていただきました。うまく伝えられているといいのですが。
どうぞよい週末をお過ごしください!
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